所沢市の西新井町から東新井町迄の東川に架かる橋
所沢の東川桜通りには大小合わせて沢山の橋がある。それを今回実際に見に行ってみた
東川桜通り西側の西武線と東川が交差する交差点(西新井町)から東側のちとせ橋までを観察に行ってみた。距離にして約1キロの道に12個の橋があります。その橋も名前が付いている橋が多く歩いているうちに興味がわいたので調べてみました。
引っ越してきてこの東川の風景が変わらないうちにと、東川に対して何も感じられなくなる前に記録として残しておこうと思いかいてみます.
西新井町の東川にかかる橋
東川桜通り上流からスタートして1本目の橋です。橋を渡った所には門があり入れないようになっています
この写真は東川の水位の調整施設が右奥にあります。その昔東川が木材が流され陸橋に木材が引っ掛かり東川があふれだしたそうです。その影響があってかわかりませんが水位の調製施設が出来たみたいです。
ここから下流に向かいながら写真を載せていきたいと思います。
次に見えてくる橋は赤い橋です
この赤い橋は道幅が狭く車はと通れません。橋の名前もないです。車は走らないので安全だとは思いますが高い所が苦手な方は怖いと思います。住民の生活道路の橋と言った所です。
この写真は赤い橋から東川を撮った写真です。大量の雨が降ると石垣の半分くらいまで水位が上がります。
春の季節になるとこんな感じに桜と東川となります。
道幅は軽自動車がぎりぎり通れるくらいです。でも通ろうとは思いませんが
実際に橋を渡ってみるとこんな感じで手すりが露骨すぎます。落とし物をしたら流れて行ってしまうくらい手すりの間隔があいてます。
次に下流に向かって歩いていくと宮前橋に着きます。この橋は名前通り目の前に神社があるからです。
橋の向こうに見えるのが熊野神社です。地元住民のお祭りや子供用のちょっとした広場に親しまれています。
桜通りから撮った写真です。
次の見えてくるのはちとせ橋です。この橋は車の通りが多く歩くにも気を使う橋です。
宮前橋とちがい名前をプレートか何かで押し付けて付けた感じがします。
反対側も何かで押し付けたような感じで名前が彫られています。
次に見えてくるのがさくらはしです。
この橋を写真で見る限り歩行者の見の橋ではなく車も通れるように作られた橋のようです。
一見手すりと鉄板で簡易的にできているので歩行者のみかなと思いますがそうではないようです。
さくらばしではなくはしで濁点はないようです。
橋の脇には安全面を考慮して物などが落ちないようにと橋の土台が崩れないように土のうがんでありました。
橋を正面から見たところで橋の鉄板には車が通ったタイヤでこすれた跡があります。鉄板なので雪が降ったりしたら滑りそうでちょっと怖いです。
ここからの東川の眺めはこんな感じです。手すりが四角い窓のようで面白い写真が撮れました。
しかし橋の上で落とし物をしたら川に落ちそうで転べないですね。せめて下の方には落下しないように何かで保護してもらいたいです。
サンダルを滑らせて落としそうですね。
次は松井橋です。
東新井の東川にかかる橋
ここから東新井の東川の橋の紹介します
松井橋を境に町名が変わります。なので分かりやすくする為、分けて書いています
この橋は車通りなのでしっかりしたつくりの陸橋ですここの橋には信号があるのですがその信号の代わる間隔が異常に長く特に川から沿っていく場合の信号待ちしている時間がかなり長いので少々の我慢が必要です
車も通るのでしっかりした作りです。
やたらと信号の代わる間隔が長い交差点
松井橋のプレート埋め込まれています。銅製の物なのかな?青さびかな?
やはり車も通る橋だけあって手すりもしっかりした作りです。安心します。
この橋から桜の時期に写真を撮ると面白そうです。次回撮影したいと思います。
橋の近くにバス停がありました。バス通りでもあるんですね、交通の便はよさそうです。
続いてとみた橋です
この橋も比較的しっかりした作りの橋です
手摺の支柱に竹があるのは提灯を付けるために設置してあります。普段はありません。
名前も色褪せていてなかなか読みずらいですが橋の名前が刻印されています
続いて学校橋です。
何故学校橋と言われているんだろう?
平成27年に作られた橋で他の橋に比べると新しく作りもしっかりしています。
この橋の写真を撮っていると精華の梅と言うものに巡り合いました。
近くに行って見ると由来の看板がありました。
読んで見るとこの場所に民家を改造して学校を作りました。当時はお寺や神社の敷地内に作られたのがほとんどで当時は珍しかったそうです。
その学校の一角に梅の木があり枯れてしまいましたが、その梅の木を接木して復活させこの地に植えたそうです。因みに現在の木は3代目の木だそうです。
現在は詳しい人もそんなにいなくなり、後世に伝えたく記念碑と木を作ったそうです。
簡単ではありますがそのような事が書かれています。
この事を読んであたりを見渡すとこのような記念碑がありました。
この辺りに下新井小学校と言う学校があった事を初めて知りました。私ももうちょっと詳しく調べたいと思います。
学校橋から見た東川はこんな感じです。道路側には桜の木がなく明るく開放的な景観です。
次に東橋です
この橋はさいたまふじみ野所沢線のすぐ横にある橋で地元の生活道路となっています。一応車も通れますが道幅が狭いです
東橋から見た東川です。
手摺りは下の方にいくと幅が狭くなり落とし物をしても落ちる心配はなさそうです。
今度の橋は新東橋です。この橋は東橋のすぐ脇にありさいたまふじみ野所沢線の陸橋です
流石県道なのでしっかりした作りです。
綺麗な陸橋なんですが所々手すりなどが歪んでます。事故で歪んだのでしょうか?分かりませんがもったいないです。
次は名前のない橋でグレーの橋です
この橋は名前がなく人専用の橋となっています
人専用なので簡単に出来ていますが西新井町にある赤い橋よりはしっかりしてそうです。落とし物をしたら川に落ちそうなのはそんなに変わりませんが手すりの鉄パイプはこちらの方が多くその点では落とし物をしたとしてもパイプに引っかかるような気がします。こちらも雨が降ったら滑りそうです。
手すりも塗装が落ちてるところもあります。グレーの橋からの眺めも桜の季節になったらバランスの取れた写真が撮れそうです。
最後にさかい橋です
この橋を境に東新井町と牛沼の町の境界になると思います。このさかい橋を下流に少し歩くと別の流と合流するところがありそこから牛沼になると思います
住所等は書いてませんが家屋など見るとこの辺りが街の境界かと思います。
車一台通れるくらいの道幅です
さかい橋からみた東川この辺りから下流に向けて桜も両脇に植樹されています。さらに川幅も少しずつ広がっていき桜と東川が見事にマッチした景観が広がります。
この先の下流には東所沢方面に向かい角川武蔵野ミュージアムやところざわサクラタウンがあり桜並木も続きます。
以上で西新井町から東新井町迄の東川に架かる橋を紹介いたしました。又調べていてさらに調べたいものもあり引き続き学校橋など調査してみたいと思いました。又分かり次第載せてみたいと思います。
長文にかかわらず見ていただき誠にありがとうございます